4月9日 楽しさの反動
「起きてよ」
時間はまだ6時半。体を揺すられて目覚めると、スーザンの暗い表情が見えました。
「どうしたの?」
明らかにおかしい状態です。目覚めた直後は眠気もありましたが、一気に覚醒します。
「つらい」
昨日の反動でしょうか、つらい感情が一気に襲ってきているようでした。
「死にたい」
自殺衝動もあるようです。
思えば、先生はこういう事態を心配していたのでしょう。とにかく休む。疲れないように。消耗すれば、その消耗した心の隙間に自殺衝動が入り込んでくる。心の余裕域と言えばいいんでしょうか。そういうものが必要なのでしょう。
「昨日は頑張りすぎたもんね。今日はゆっくり休もうね」
コンビニに朝食を買いに行き、とにもかくにもお薬を飲ませます。
「ふう、楽になった」
しばらくして気分が落ち着いたようです。お薬の効果か、プラシボ効果か、どちらかなのかは私にはわかりませんが、重要なのがスーザンの気が楽になったかどうか。正直どちらでもいいのです。楽になっているのなら。
「今までで一番つらかった。なんか凄いつらかった」
「死ね死ね団が来てた。凄い暴れてた」
本当はもっと早起きしていて、私を起こそうかどうかずっとためらっていたようです。今日は私も仕事があり、仕事を前にした私を早めに起こして良いものやら考えていたが、6時半になり、ついに耐え切れずに起こしたと。
「気にしなくていいよ。つらいときは起こしていいよ」
眠いことは眠いですが、死なれるよりはましです。寝ている間に死なれたら、ショックですし、寝ることが怖くなることでしょう。
「もう大丈夫。落ち着いた」
「そう。良かったね」
気分が良くなったようなので、少し眠ってから仕事に出ます。
「今日休めない?」
「ごめん。休めないよ。人手足りないし」
無理とわかっていてもスーザンはたまにこう言ってきます。つらいときは一緒にいて欲しい。その気持ちはわかりますが、こちらも生計を支えなくてはなりません。収入がなければ治療どころではありませんし、共倒れになってしまいます。
「行ってくるね」
「うん、気をつけてね」
何があっても出勤する時は笑顔で私を送り出してくれるのがスーザンの良いところ。スーザンの笑顔に送られて気分良く出勤します。
恐らく笑顔の裏側では言いようのない寂しさがあることでしょう。離れがたい気持ちがあることでしょう。もちろん私も同じ。
「もし、これがスーザンの最後の姿になったら」
考えたくもない不安がちらりと脳裏に浮かびます。帰宅し、スーザンの笑顔を見るまでは、毎日とても心配です。
「おかえり」
帰宅するとスーザンの笑顔が私を待っています。笑顔に送られ、笑顔に迎えられる。この生活を一日でも長く続けたい。そのためにも治療がうまく行って欲しい。お薬がきちんと効いて欲しい。私の切なる願いです。