4月10日 くくられたひも
ご飯を炊き、明太子や浅漬け、納豆などをおかずに二人でお昼ごはんを食べます。私は接客業に従事しているのですが、勤務はシフト制。お昼過ぎからの出勤、日が変わるかどうかの深夜帯までの勤務になります。
いつもは早めに家を出て、会社の近くでご飯を食べてから出勤するのですが、自宅でご飯を食べると、スーザンと一緒にいられる時間が増えます。会社は自宅から自転車で10分ほどの場所。家を出て、飲み物などを買ってから出勤します。
仕事をしているときはスーザンのことを忘れます。スーザンのことを考えると仕事になりませんし、気もそぞろになってしまう。本当はずっとスーザンに寄り添っていたいところですが、仕事をして収入を得ないと生計が成り立たない。
幸いにして仕事はとても忙しく、仕事をしているとあっという間に時間は過ぎていきます。これが少しでも暇があると、スーザンのことを思い出し、身を案じ、かえって仕事にならないのでしょうが。
無事勤務を終えてiPhoneを確認します。何かあればメッセージが入っているからです。
「ごめん、自殺の準備をしてしまいました」
「遺書を書いて、首吊りか飛び降りの為に着替えて用意をしてしまいました」
「ごめんなさい、本当に不安です」
「タクシーでもなんでもいいので早く帰ってきてください」
目を疑いました。スーザンの身が大変なことになっている。すぐに電話をかけます。
「はい?」
「大丈夫?」
「頓服飲んだ」
「今、帰るからね。待っててね」
「はい」
どうやら頓服薬を飲んでいるよう。それも複数回飲んだようです。急いで着替え、タクシーに飛び乗ります。
タクシーの中ではやることもないので、Evernoteの投稿を見ます。遺書のような内容が投稿されていました。つらい気持ちと、そこから解放される気持ちがつづられていました。
タクシーを降り、急いで部屋に入ると、部屋に入ったすぐのところにスーザンはしゃがんでいました。
「間に合った……」
とりあえず安堵します。生きている。今はそれだけで十分です。
首にはひも状にくくられたカーディガンが巻きつけられ、しゃがんでいたスーザンの後ろ側にある事務机の引き出しについてある取っ手に縛られていました。また、それとは別に首にはリボンが締められ、強く縛った痕がありました。
カーディガンをほどき、リボンをハサミで切ります。首には締めた赤い痕が残っています。どういう気持ちで締めたのでしょう。
机には私宛てと、両親・妹宛ての遺書合わせて二通がありました。
モーガンへ
スーザンはどうしても生きていくことができなくなってしまいました。
本当にたくさんめいわくをかけてごめんなさい。。
モーガンを幸せにしたかった。
モーガンを誰より愛しているのに、どうしてこんなにつらいのかわけがわからない。
モーガン愛してる、モーガン愛してる。本当に本当に。
どうしてこんなにつらいのかわかりません。
どうしても死にたいつらい。生きていたくない。死にたい、死にたいよう。
スーザンと出会ってくれてありがとう。スーザンを選んでくれてありがとう。
スーザンのために毎日楽しく過ごさせてくれたこと本当に幸せです。
何も不満も何もないのに。
どうしてこんなにつらいのか、本当に自分が嫌になります。
死にたいです、つらいです、楽になりたい。
こんなに幸せなのに。
死にたいです死にたいです、つらいつらいつらい。
遺書の横にはソラナックス三錠分の空が置いてありました。自然と涙がこみ上げてきます。遺書と、お薬の空と、頓服薬の影響で意識が朦朧とするスーザン。私は泣いていました。泣くしかありませんでした。スーザンを抱きしめ、ひとしきり泣きます。
「ごめんね、ごめんね」
スーザンは私に詫びてきました。
「いいんだよ。生きていればいいんだよ」
正直な気持ちです。私はスーザンが生きてくれさえすればいいのです。他は何も望まない。
しばらくするとお薬の効果が切れてきたのでしょうか、スーザンの意識はだいぶ戻ってきていて、自分が何をしたか思い出してきたようです。
「ごめんね、本当にごめんね」
何度もスーザンが詫びます。そして私は何度も何度も「いいんだよ」と答えます。
「お腹すいた」
しばらくするとスーザンが空腹を訴えます。私も急いで帰宅したので、何も食べていません。頓服薬の影響のためか少し足元がふらつくので、タクシーで近隣のファミリーレストランに行きます。温かい食事。甘いデザート。胃袋を満たすことでスーザンもいろいろと落ち着いたのでしょう。先ほど自殺未遂をした人間とは思えない穏やかな表情になっています。
「なんでだろうね」
帰宅し、睡眠薬を飲み、寝床でぽつりとスーザンがつぶやきました。
なんでだろうね。答えは私もわかりません。わからないけど、とにかく生きていて欲しい。これって私の無理な願いなんでしょうか。
「ううん、そんなことない」
「ごめんね、もうしないから」
と言いますが、その難しさはスーザン本人はよくわかっていることでしょう。ただ生きていくだけがこんなに難しいとは。うつ病の恐ろしさを身をもって感じた一夜でした。