ブログは自己顕示欲

鬱になった妻(スーザン)の記録をしていくブログです。

4月14日 孤独の不安

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 昼過ぎに私は出勤し、夜遅くに帰ります。その間、スーザンは自宅でひとりです。家には他に誰もいません。その時間帯が不安です。誰もスーザンを止める人はいません。
 「もし、スーザンが自殺してしまったら?」
 不安です。何よりスーザン自身も不安です。私がそばにいないことを不安に思っているのはスーザンです。
 13日、14日と朝からあまり調子が良くありません。頓服薬を途中飲み過ぎてしまったために、残りがなくなってしまいましたし、睡眠薬もわずかです。
 そういうお薬の不安も大きくなっています。いざというときに飲むお薬がないということが、不安の材料になっています。
 私がいない間、家族に電話したり、友達に連絡していたようです。みんな良い家族、良い友達で、スーザンの体を案じ、時に泣いてくれる大切な人たちです。スーザンもそういうみんなを大事にしたいという気持ちを人一倍持っていますし、そういう人たちのためにも病気を治したいと思っています。
 しかし夜が深まり、ひとりの時間が長くなっていくと、そういう前向きな気持ちが折れ、闇が心に広がるようです。
 「死にたい」
 私がいない間、死ぬことへの衝動と戦ってくれています。
 14日から15日へと日付がかわった頃、やっと仕事が終わりました。急いでスーザンに電話します。
 「なんで? なんでこんな遅くなったの?」
 スーザンはひとりで不安だったようです。
 「ごめんね。凄く仕事が立てこんでて。急いで帰るね」
 「いつ? どのくらいかかる?」
 「10分で帰るよ」
 自宅まで自転車で10分ほどの場所に私の勤務場所はあります。
 「待ってる」
 とてもスーザンはつらそうです。
 自転車を急いでこぎ、自宅に帰るとスーザンが恨めしそうに私を見返してきました。
 「遅い」
 「ごめんね」
 私には謝ることしかできません。
 スケッチブックにいろいろ書いてありました。どういう感じで自殺衝動が襲ってくるのか、私に少しでも伝えようとしていました。スーザンはスーザンなりに努力しているのです。
 「疲れた」
 心が休まる暇がないのでしょう。疲労感を訴えます。
 今日は自殺衝動に打ち勝ち、無事にスーザンは生きています。ひとりの時間を乗り切ってくれました。しかし、万が一負けてしまったら? 今までは何もなかったが、たった一回負けた時に取り返しがつかなくなるんではないか?
 当然の疑問がわいてきます。
 「入院した方がいいのかな?」
 当然の選択肢として出てきます。明日は一週間に一度の通院日。お医者さんへ行く日です。お医者さんにも相談すべき事柄です。私と一緒のほうがいいはずですが、私がいない時間をどう過ごすか。私が管理できないのであれば、病院のお世話になった方がいいのではないか。
 スーザンの病状にはあまり変化がありませんが、危機的な状態が起こりうる現実にもまた変化がありませんでした。
 スーザンの夫として、最もそばにいる者として、ひとつの区切り、ひとりの決定を下すときが近づいているのかも知れません。