4月12日 災い転じて福となす
スーザンに起こされて一日が始まります。少しだけ今日は調子が悪そう。昨日は調子が良かっただけに、ちょっと反動があるよう。一進一退の病状が続きます。
しかしそれでも一緒にご飯を食べ、のんびり過ごす時間は大事です。仕事までのひととき、スーザンのそばにいます。特に何をするわけでもないのですが、一緒にいるとそれだけで安らぎますし、スーザンにもそう感じてもらえているようです。
とはいえ、私は仕事に行かねばなりません。スーザンをひとりにするのはとても心配です。睡眠薬は私が持ち歩くようにしていますし、頓服薬は先日飲み過ぎたせいで、もう残りがありません。お薬を過剰に飲んでしまう心配はありませんが、しかしそれでも先日のように首を締めようとするかもしれませんし、刃物があれば自らを傷つけてしまうかもしれません。心配です。とても心配です。
何もないことを祈ってスーザンの元を離れます。スーザンは「死ね死ね団」と表現していますが、時折、スーザンの元に「死ねばいいのに」とささやく不埒な輩な脳内にいるようです。「死ね死ね団」というくらいで、それも複数に。
仕事が終わり、まずはスーザンに電話をかけます。声が聞ければまずは安心。
「今日は『死ね死ね団』じゃなかった。『死ね死ねくん』くらいだった」
いつも集団で来るひどい連中が、今日は単独だったようです。ふう、良かった。
今日は私が出かけている間に、実家の両親とやりとりをしていたようです。みんな心配しています。スーザンは優しい両親、素敵な妹にかこまれ、実に恵まれた状態だと思います。
Evernoteには私に早く会いたいとたくさん投稿されていました。好きであると。愛していると。見ていてうれしくなります。
うつ病という病気を患ったことは不幸ですし、そこから抜け出したい気持ちですが、一方で日に日にスーザンとの結びつきの強まりを感じます。病気になったからこそ、スーザンをいたわる気持ちが強くなってきています。
災い転じて福をなす。
簡単にはいかないことは重々承知していますが、ことわざのようにうまく行って欲しい。ことわざがあるくらいだから、きっとうまくいくこともある。私とスーザンなら大丈夫。
毎日毎日の生活が死ぬか生きるかの分水嶺ではありますが、しかしそれでも私とスーザンには笑顔でいられる一瞬があります。その一瞬があれば生きていける。その一瞬のために生きていける。
今後も一日一日を大事に生きていきたいと思います。