ブログは自己顕示欲

鬱になった妻(スーザン)の記録をしていくブログです。

4月19日 反動

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 やはり私も疲れていたのでしょうか、今日は何もする気が起きません。元々お休みの日で、休養にあてようと思ってはいたのですが、予想以上に疲れています。正直、スーザンと話すのもつらい状態です。
 言ってみれば、うつのような状態。入院を回避したことで、やはり一安心したのでしょう。その安心で生まれた心の隙間に寒風が吹き、心の風邪をひいてしまったのです。
 朝起きて、スーザンと話しますが、頭の中に会話の内容が入ってきません。スーザンの簡単な「これしてよ」というのが受け入れられない。「ちょっと待って、放っておいて」という状態です。
 とはいえ、ご飯は用意しなければなりませんから、買い物には出かけます。が、本当は買い物すらしんどい。横になるような体調ではないのですが、何かができるような体調でもない。頭を使わない単純なゲームをして気分転換をしたいという欲求だけがつのります。
 逆にスーザンの体調は良さそうです。お薬の副作用で、朝は意識がはっきりしないようですが、心の上下動はなく、安定しています。会話も楽しめるようになり、笑顔の時間が増えてきました。うつ病であるとは思えない状態です。お薬の効果はあれど、病気とは思えない。
 今日に関しては、よっぽど私の方が病気で、スーザンの方が健康体に思えます。それほど何だか疲れきってしまった。突発的な体調不良で済んでいるから良かったものの、私もうつを患っていてもおかしくなかったのかもしれません。
 よくこういう心の病気は、家族の共倒れが心配だと言います。支えようとするその思いが自分を追い詰める材料になってしまう。私も知らず知らずのうちに、スーザンを支えようとするあまり、自分を追い詰めていたのかもしれません。そしてそれが入院の回避という出来事によって、一気に反動が押し寄せてきたのかも。
 スーザンにとっての良い区切りが、自分にとっては悪い区切りとなり、体調不良という現象になるというのは、何とも皮肉な話です。誰よりもスーザンの回復を喜んでいるのは私なのに、回復したスーザンと笑顔で語り合うのを楽しみにしているのは私なのに。その私の元気がなくなり、会話が楽しめなくなってしまうというのは、どうしたことでしょうか。
 一日のんびり家で過ごし、一日が終わります。今日は本当に何もしませんでした。スーザンはせっかくの私と過ごす休日。いろいろしたかったことでしょうが、本当につらくて何もできなかった。歯がゆいです。しかし、何かしたらもっとひどいことになる予感がして、何もできない。
 明日はまた仕事です。果たしてきちんと仕事できるのか。少し不安になるほどの不調。休みが欲しい。何もしない日が欲しい。さすがに疲れています。疲れをとらないとおかしくなってしまう。おかしくなる前に休みをとりたい。休みに対して少し切実な思いに囚われています。一時的な状態であればいいのですが。