ブログは自己顕示欲

鬱になった妻(スーザン)の記録をしていくブログです。

5月2日 情けは人のためならず

 ゴールデンウイークということもあり、お医者さんもお休み。スーザンは毎週火曜日に通院しているのですが、今年は暦が悪く、二週連続でお休み。さすがに間が空きすぎるので、同じ病院の他のお医者さんにかかります。
 かかったお医者さんは、その病院の院長先生。特に病状に変化がなく、また、主治医ではないので、簡単なやりとりで終わります。なんだかあっけない。
 お薬は十一日分。抗うつのお薬、胃腸薬、頓服薬、睡眠薬、それに便秘薬。一日三回のもの、朝夕のもの、睡眠前に飲むもの。お薬を飲むのも、管理するのも大変です。
 ただ、お医者さんにかかるとき、お薬を買うときに思うのは、健康保険制度ってありがたいなあと。お医者さんにかかってうん千円。お薬もらって千うん百円。それで病気を治すことができるのですから、安いものです。
 病気になると働くどころではないわけですから、収入がなくなります。そして医療費という支出があるわけですから、医療費が高ければ「治す」という選択肢がなくなってしまいます。
 健康保険によって安価に医療を受けられる。そのことによって「治す」が選択肢にあげられる。この意味合いはとても重要なことだと思います。日本の国民皆保険制度は、日々の生活を支える意味合いのおいて、ありがたいものだなあと思います。
 スーザンの場合、実家の両親が健在で、物心両面でいろいろ支援してくれています。スーザンも助かっていることでしょうが、スーザンのそばにいるこの私も助けられています。
 健康保険制度であったり、家族のありがたみというのは、平時においては空気のようなもので、特に感じられないものなのかもしれません。非常時においてとても頼りになる。
 「情けは人のためならず」
 この言葉の重みを感じる今日このごろです。

4月29日 趣味もやり過ぎは禁物

 スーザンの状態は非常に安定しています。お薬を変えてからというもの、夜はよく眠れ、一日を快適に過ごすことができています。自殺衝動に襲われることもなく、そばで見ていて安心です。
 22日にはいつものお医者さんへ。お医者さんから見ても安定している様子なので、どこかほっとした印象を受けます。それだけ一週間前の状態がひどく、いつ自殺してもおかしくない状態でしたから。
 ゴールデンウイーク期間にかかり、火曜日は二週連続でお休みになってしまうため、通院周期を少し変更し、十日分のお薬をもらいます。また、少し便秘の症状があるため、下剤を処方してもらいます。お薬の副作用で、便通が悪くなるようです。
 その後も非常に安定し、そうなってくると何かしたくなってくるのがスーザンの性分なのでしょう。お部屋のお掃除や、趣味のビーズ手芸などに取り組んでいます。細かい作業をこつこつとやっています。
 その細かい作業がストレスの解消になり、落ち着ければいいのですが、やはりやり過ぎは禁物のようです。根を詰めてやってしまったのでしょう。そして疲れてしまったのでしょう。久々に「死にたい」とスーザンは自殺衝動に襲われてしまいました。以前のようにカーディガンを首にまこうとし、ビーズの整理のために買っていた瓶で自分の頭を叩きます。
 また、この日はタイミングが悪く、頓服のお薬を会社に忘れてしまい、後で取りに行こうと後回しにしていたら、こうなってしまいました。睡眠薬も含め、スーザンは手元にあるお薬を過剰に飲んでしまうことがあるので、念のため仕事の日は私が会社に持ち歩いているのです。
 朝、昼と調子が良く、また天気も悪かったため、大丈夫と判断していたのですが。やはりお薬は飲み続けなければなりませんし、いざというときの備えで頓服のお薬があるのですから、手に届くところに置いておかねばなりません。
 寝ている間に会社に取りに行こうかどうか迷いましたが、薬効の問題というよりは、疲労の問題であると判断し、とりあえずお薬を取りに行くのはやめ、自宅にいることにします。出かけている間に取り返しのつかない事態が起きては困りますし。
 幸いにして三時間ほど寝たところ、いつものスーザンとして目覚めました。
 「さっきはごめんね。なんか急に……」
 まるで別人格のよう。別人格のスーザンが急に「死にたい、死にたい」と暴れてしまったようです。疲れたスーザンの体に、別人格が乗り移ったようです。
 趣味とはいえ、真面目な性格のスーザンは根を詰めて取り組んでしまいます。しばらくはビーズ手芸もやめさせることにしました。今はとにかく休むこと。休むための趣味で疲れてしまっては本末転倒です。
 真面目なところがスーザンの良いところなのですが、こと、今回の病気に関しては、それが徹頭徹尾裏目に出ているような気がします。なんとも皮肉な話です。
 今はゆっくりお休み、スーザン。

4月20日 戦士の休息

 連休を終え、今日は仕事の日。さすがに前日の絶不調は脱したものの、今日もあまり体調は良くありません。そこで、明日、お休みをとることにします。元々明後日は休みだったので、連休にします。疲れている時は早め早めの対応が肝要。状態がひどくなる前に休むことにします。
 仕事は何とかこなします。体調は悪いですが、他の人が私を見て、気取られるようなものではありません。
 スーザンは相変わらず体調が良さそうです。お薬のせいで、午前中は意識が朦朧としていることが多いのですが、午後は元気です。今日は趣味のビーズ手芸をしています。貯まったビーズがあるので、それを使い道別に分類して、今度小物を作るようです。
 体調が良くなったので、スーザンはいろいろな話をしてきます。いつもなら一緒に何でも話すところですが、体調が悪いので、あまり相手できないのが悲しい。もちろんスーザンも悲しそう。せっかくスーザンの体調が良くなったのに、私の体調が悪くては、会話を楽しめません。
 今まで私がスーザンの体調を心配していたのに、ここ数日、立場が入れ替わっています。せっかく良くなったのに、ここで精神的な負担をかけてしまうのは、とても申し訳ないし、回復に支障がなければいいなと思います。
 とりあえず明日も一日ゆっくり休むことにします。寝て、ゲームして、ご飯食べて、ゲームして。そんな感じでのんびり過ごします。今は何もできない。何かできるようになるために、しばらくは何もしません。
 戦士の休息。そう思うことにします。何かがしたい、何かができそうになりつつあるスーザンには申し訳ないけれど。

4月19日 反動

 やはり私も疲れていたのでしょうか、今日は何もする気が起きません。元々お休みの日で、休養にあてようと思ってはいたのですが、予想以上に疲れています。正直、スーザンと話すのもつらい状態です。
 言ってみれば、うつのような状態。入院を回避したことで、やはり一安心したのでしょう。その安心で生まれた心の隙間に寒風が吹き、心の風邪をひいてしまったのです。
 朝起きて、スーザンと話しますが、頭の中に会話の内容が入ってきません。スーザンの簡単な「これしてよ」というのが受け入れられない。「ちょっと待って、放っておいて」という状態です。
 とはいえ、ご飯は用意しなければなりませんから、買い物には出かけます。が、本当は買い物すらしんどい。横になるような体調ではないのですが、何かができるような体調でもない。頭を使わない単純なゲームをして気分転換をしたいという欲求だけがつのります。
 逆にスーザンの体調は良さそうです。お薬の副作用で、朝は意識がはっきりしないようですが、心の上下動はなく、安定しています。会話も楽しめるようになり、笑顔の時間が増えてきました。うつ病であるとは思えない状態です。お薬の効果はあれど、病気とは思えない。
 今日に関しては、よっぽど私の方が病気で、スーザンの方が健康体に思えます。それほど何だか疲れきってしまった。突発的な体調不良で済んでいるから良かったものの、私もうつを患っていてもおかしくなかったのかもしれません。
 よくこういう心の病気は、家族の共倒れが心配だと言います。支えようとするその思いが自分を追い詰める材料になってしまう。私も知らず知らずのうちに、スーザンを支えようとするあまり、自分を追い詰めていたのかもしれません。そしてそれが入院の回避という出来事によって、一気に反動が押し寄せてきたのかも。
 スーザンにとっての良い区切りが、自分にとっては悪い区切りとなり、体調不良という現象になるというのは、何とも皮肉な話です。誰よりもスーザンの回復を喜んでいるのは私なのに、回復したスーザンと笑顔で語り合うのを楽しみにしているのは私なのに。その私の元気がなくなり、会話が楽しめなくなってしまうというのは、どうしたことでしょうか。
 一日のんびり家で過ごし、一日が終わります。今日は本当に何もしませんでした。スーザンはせっかくの私と過ごす休日。いろいろしたかったことでしょうが、本当につらくて何もできなかった。歯がゆいです。しかし、何かしたらもっとひどいことになる予感がして、何もできない。
 明日はまた仕事です。果たしてきちんと仕事できるのか。少し不安になるほどの不調。休みが欲しい。何もしない日が欲しい。さすがに疲れています。疲れをとらないとおかしくなってしまう。おかしくなる前に休みをとりたい。休みに対して少し切実な思いに囚われています。一時的な状態であればいいのですが。

4月18日 入院ありやなしや

 今日は紹介された病院に向かう日です。診断の結果によっては、スーザンは今日から入院します。
 ただ、印象としては「入院の必要はないかな?」という方向に傾いてはいました。土日月と調子が悪く、自殺衝動などもあって危険な日が続きましたが、火曜日の診療を受けてお薬を変えたあとは安定し、危ないそぶりもなかったのです。
 これが一日、二日でしたら確信は抱けなかったのでしょうが、安定した日が火水木と三日続いています。危険だった土日月と、安定していた火水木。どっちを重く見るか。そういう判断が必要になることでしょう。
 午前十時、病院から電話が入ります。今日の診断のお話と、ベッドの空きは確保できている旨の案内です。否が応でも入院という現実が突きつけられます。
 スーザンは今日も調子が良いようです。お薬を変えて以来、よく眠れていますし、食欲も戻ってきています。だるさはありますが、それは眠気を呼ぶもので、今はひたすら眠って休養すべきスーザンにとっては、問題のないのない副作用と言えます。
 電車とタクシーを乗り継ぎ、病院に向かいます。電話口の方も丁寧でしたが、受付の方も丁寧で好感を持てます。
 少し待った後、診察室に呼ばれます。男性の若い先生で、物腰がソフトなこちらも丁寧な印象の先生です。
 ご高齢の患者さんが多いのでしょうか、話し方が噛み砕いたものです。スーザンから最近の体調、ここに至る経緯などを聞いていきます。スーザンは正直にうつ病と診断されていること、自殺未遂をしたことがあることなどを話して行きます。
 隣で聞いていて、とても普通の受け答えをしています。言いよどむこともありませんし、なにより、口調が穏やかです。
 先生からは私にもいくつか質問されました。土日月と火水木の変化について話します。土日月はアクセルが壊れ、暴走した状態だったのが、火曜日にお薬を変え、アクセルを直したことで、火水木はブレーキが効くようになり、安定した状態になったと。
 スーザンと私の話を聞き、先生は入院の必要はなさそうだという所見を得たようです。私もそう思います。一時の危険は脱した。しばらく様子見をして、それでも危険であれば改めて入院。そうでなければ、これまで通りのお医者さんに通院し、治療した方が良いのではないかと。
 「しかしそれでも入院するという選択もありますが、そうするとこれは監視状態に置くということで、精神的にも、肉体的にも、いろいろな負担がかかります。もちろんお金もかかります。今回は入院を見送ってもいいのではないでしょうか」
 今回は入院を見送ります。今までにかかったお医者さんに電話をし、入院は見送りになった旨を伝え、来週の予約をとります。
 続いてスーザンのお母さんに電話をします。誰よりも心配をしています。まずは安心させてあげたい。
 入院というくびきから放たれ、少し心理的に楽になりました。スーザンの表情もほっとしています。
 今日、先生にも言いましたが、しかしここ数日の変化は目覚ましいものです。症状を先生にきちんと話せるように、スーザンは自分の病状を客観的にとらえることができるようになりました。これはある程度、病気が過去になったということで、回復途上にあることを示唆するものです。
 また表情から厳しさがなくなりました。一時は非常に攻撃的で、何事に対しても苛立ち、その苛立った自分に対して絶望し、自分に制裁をする意味での自傷行為をしたりしていました。そういう攻撃性がなくなり、温和になり、表情にも柔らかさが戻っています。笑顔の時間が増えています。
 4月15日の通院、お薬の変更を境に、病状に明らかな変化が見えています。最悪の状態、危険な状態から抜け出し、安定的な回復が望める状態になってきています。これからも状態の浮き沈みはあることでしょうが、最悪期に戻ることはなさそうです。
 「もう、死ぬなんて言わないからね」
 本人も自覚しているようです。以前の状態は最悪であったと。そして、その状態に戻ることはないと。
 少しだけ病気が過去になりつつあります。現在進行形で病気から抜け出しつつあります。しかし油断は禁物。私はスーザンのそばで病気を過去にする時の流れを見守るのみです。

4月17日 便りがないのは良い知らせ

 今日もゆっくりと朝を迎えます。穏やかな一日のはじまり。静かに目を覚まし、体を起こします。今までの日々はなんだったんでしょう。車に喩えると、急発進・急加速の状態でした。
 朝! 起きる! ご飯! 休憩! お茶!
 そんな感じで、ひとつひとつの出来事を衝動的にこなすような感じでした。まるで誰かに追い立てられるように。それがゆるやかな始動、穏やかな加速とブレーキ、静かな停止と、滑らかな車の挙動へと変わりました。
 運転手は同じスーザン。けれど、運転の仕方ひとつでこうも変わるのです。先日の通院、先日からのお薬の効果、あるいはスーザンの気持ちの整理のおかげなのか、目覚ましい変化です。
 この恩恵を最も受けているのは私かもしれません。おかげで朝もゆっくり眠れます。急に起こされることもありません。気分の変化によって自殺衝動をほのめかしたり、自傷行為に走ることもありませんから、心配の種も減りました。今は本当に安心です。
 ご飯を食べて出勤します。出勤後もEvernoteなどを確認しますが、特に投稿がありません。以前は落ち着かない気持ちの変化などが記録されていましたが、最近は投稿そのものがない。
 便りがないのは良い知らせと言いますが、正にそういう感じでした。投稿がないということは、落ち着いているんだなあと。
 仕事を終え、スーザンに電話します。今日も妹などと連絡を取り合っていたようです。うつ病になって以来、家族や友達とより密接に連絡を取り合っています。家族・友達のありがたみがよくわかります。一緒に泣き、笑い、喜んでくれる人間の存在は重要です。
 もちろん私もそういう人間でありたい。誰よりもスーザンの気持ちを分かち合える存在でありたい。そう思って毎日を生きています。
 明日は紹介を受けた病院に行きます。場合によっては入院するかもしれません。新たな変化があるかも知れません。スーザンも少し緊張しています。ドキドキしています。
 ここまで適切な治療を施している先生のこと、入院も間違った選択ではないと確信しているものの、しかしそれでも合う・合わないはあるもので、スーザンにとって入院がベストの選択であるかどうかの保証は私にもできません。
 しかしそれでも入院がベターであるとは感じています。より安全に、より高いレベルでの回復を企図するには、入院しかないと。
 明日、それにひとつの答えが出ます。スーザンの為の選択、スーザンの為の答えが出ますように。

4月16日 安らかな眠り

 朝、スーザンに起こされるのが最近のパターンでしたが、今日はスーザンが起きてきません。何度かは目覚めるようですが、再び目をつぶり、また眠ります。おかげで私もゆっくり眠れました。スーザンにとっても、私にとってもいい休養です。
 昨日追加されたお薬が効いたんでしょうか、本当によく眠れたようです。すっきりとしたスーザンに送られて家を出ます。
 勤務先に向かっている途中、紹介された病院から電話がありました。入院の段取りを先方で進めてくれているようです。また、診察と見学についてもまた説明を受けました。18日に初回の診察を受け、そこで入院が必要かを診てもらう。同時にどういう施設かを見学させてもらうことで、入院してもいいかどうかを私達に判断させてもらう。
 凄く控えめで、私達に主導権を持たせてくれる説明で、安心します。「診察して、すぐ入院」みたいな流れだったら心配ですし、少し強圧的に思えたことでしょうが、そういう感じではなかったので一安心です。これならスーザンも安心してくれることでしょう。
 仕事中に気になってEvernoteを確認しますが、今日は投稿がありません。どうやら寝ているようです。安心します。少なくても寝ている間は自殺することはありませんので。
 勤務を終えてiPhoneを見ると、妹と電話しているとのメッセージがありました。帰宅すると電話の途中で、会話を楽しんだようです。
 「このお薬凄い。効く」
 だいぶ寝れたようです。
 「でも、なんかだるい」
 確かに先生も副作用でだるさがあると言っていました。とはいえ、自殺が怖いのだから、だるいくらいでいいでしょうとも。行動的になる方が困る状態ですから。
 「なんかね、頭の中にずっとお母さんというか、教育ママがいる状態。いろいろ話しかけられて、うざいというか。そういうだるさ」
 勉強しようと思った瞬間に「宿題どうしたの?」と言われるような、ああいうだるさがあるようです。
 とはいえ、効き目があるということは、薬が効果的であるということ。スーザンには申し訳ないのですが、だるいくらいで丁度良いのだと思います。
 「お薬飲んで、寝るね」
 帰宅し、食事しながらしばし会話した後、お薬を飲んでスーザンは眠ります。今日も安らかに眠れるでしょうか。安らかな日々が続くこと。そしてその安らかな日々の先に回復があることを願ってやみません。